第3編(最終編) ―そして県政刷新へ

数少ないNHK時代の後悔。原発、そして、安保法。そのときの責任感を果たすため、参院選に出ると決意した

― では、いよいよですが、なぜたのべさんが選挙に出ることになったのか、その経緯を教えてください。

はい。私はご存知のように、2016年の参院選に栃木選挙区から立候補しました。NHKを定年前に自主退職しての挑戦でした。
NHKには大変お世話になり、貴重な経験もさせてもらっていましたが、働いている中で、今の世の中に対して黙ったままでいいのか、色々な現場を見聞きしてきて世の中の問題をたくさん知ってしまった自分が声を上げなくていいのだろうか、という思いが日に日に強くなっていました。

中でも、3.11の原発事故と、2015年の安保法(戦争法)強行採決は私にとって、その思いを決定づける出来事となりました。

3.11で原発が爆発して、あれだけの人が人生をめちゃめちゃにされてしまった。私は、NHK福島局に行った際に、県内の各所に、大量に積み上げられた黒いフレコンバッグ(注:放射性廃棄物を一時保管するために収納する袋)を見て、私は今までNHKにいながら、人を騙してきてしまったのではないか、と思わされたんです。
NHKは今まで原発の危険性も含めて真実を伝えてきたのだろうか、自分は真実を伝えたくてNHKに入ったのに、それを果たしてきたのだろうか、という問いが自分に対して生じていました。

さらにそれに加えて、安保法(戦争法)があれだけの明白な憲法違反にもかかわらず、そして若者も含めて多くの国民が反対するなかで数の力で成立させられた。
そのときちょうど、私の娘が初めての子どもの出産を控えていました。私にとっての初孫です。日本が戦争に巻き込まれるような国になってしまったら、自分の孫は幸せに暮らせるのだろうか、という不安がそこで生じたのです。

そのような不安と葛藤、自分への問いかけをしているなかで、2016年、参院選が行われる年を迎えました。
今から考えても、自分でもよくわからない衝動に駆られた、と言いますか「デーモンにとりつかれた」と言いますか、うまく言えないのだけど、とにかく「今ここでなにか行動を起こさなかったら、俺は一生死ぬまで後悔するぞ」と思ったんです。

退職することを上層部に伝えるため、渋谷(東京都)にあるNHKの放送センター(本社)に行って、お世話になった上司に挨拶をした、そしてNHKの建物を出たとき、真冬の夕方でしたからすごく寒かったのですが、冷たい風が顔に当たるのがやけに気持ちよかったのを覚えています。

― 結果は31万票を得ながらも次点ということで負けに終わったのですが、どんな気分でしたか。

清々しい気持ちでした。NHKの中にいたら言えないことを、選挙戦のなかで主張できた。
なにより、孫に対して申し開きできる、というか胸を張れることをした、やるだけやった、という気持ちでした。
おじいちゃんとして、というよりは、「大人としての責任」だと思っています。
わかっている者、世の中の問題に気づいてしまった人の責任でもあると思います。わかっていてほったらかしにすることはできない。

今だって、このままの政治を続けていたら格差は拡がるばかりです。政権与党に対して、我々が勝たないと、貧しい人、困っている人はどんどん死んでいってしまう、という危機感があります。
たとえば私が中小企業の現場で出会う一般的労働者は、50代で月々19万円の手取りで毎日一生懸命働いている。でもその給料で、たとえば子どもを育てられるかといったらそんなの無理です。自分の生活だって、暮らしていくのにギリギリの水準。
一生懸命、真面目に働いてもそんな生活を強いられている人がたくさんいる。
その人たちに、今「憲法」は届いているんだろうか。
その人たちが実感できる言葉で我々は訴えているのだろうか。
政治を変えよう、と願う一人の市民として、自分の言葉は伝えるべき相手に伝わるものになっているのか、考えていかなければならないと思っています。

今回は国政ではなく、県政刷新を訴えて立ち上がったわけですが、なぜ県政に取り組むことにしたのですか?

― 結果は31万票を得ながらも次点ということで負けに終わったのですが、どんな気分でしたか。

今の政治、国政には、たしかにたくさんの問題があります。例えば、今、政府はアメリカの言いなりになって超高額で無用な武器をたくさん購入させられています。そんな無駄なものにお金を使うくらいなら、福祉と教育にまわしてほしい。何兆円という莫大の防衛予算のうち、ほんの数%を削って、福祉と教育にまわしてくれれば、あるいはコロナ対策にまわしてくれれば、もっと多くの人が幸せに暮らせる政治をできる。
しかし、そんな、当たり前のことを発言する知事がいない。まっとうな世の中にするためには、まっとうなことを、私たちの生活の現場である、栃木県で言う人が知事に必要です。

先日、栃木県内の災害対策を視察するために、竜巻に家を壊されてしまったおばあさんのご自宅を訪問させていただきました。おばあさんは一人暮らしなんですが、住んでいる自宅の屋根を竜巻に壊されてしまった。屋根はもっていかれて、梁が外から見える、むき出しの状態でした。

おばあさんは、月々わずかな額の国民年金だけを頼りに暮らしています。そのため、家を補修するお金を捻出することができません。ご家族は、おばあさんに、老人ホームに転居することをすすめているのですが、おばあさんには、唯一の同居家族として可愛がっている小型犬がいるため、ペットと一緒に入居できる老人ホームがなく、転居を拒否しているのです。
私は、今の県政を変えたい。県政を変えて、「あの」おばあさんがワンちゃんと一緒に入居して幸せに暮らせる老人ホームを建てたい、そう思いました。

実は、栃木県は、2020年度の調査によれば、人口10万人当たりの老人ホームの数が全国で40位と、圧倒的に少ないのです。
ですので、老人ホームに入りたくても入れないのは、「あの」おばあさんだけではありません。今の、教育と福祉に冷たい県政を変えない限り、幸せに生きることができない人がたくさんいるんです。
私はその人たちを幸せにするために、今回立ち上がったんです。

一部の恵まれた人だけではない。全ての人が、その人の人生を楽しく生きられる、そんなとちぎにしたい

私が本当につくりたいのは、人間らしい社会です。
「神は細部に宿る」という言葉があります。「細部」である、一人ひとりの県民の暮らしへの想いがあって、そして、そんな小さな「暮らし」に光が当たる社会を、栃木県で実現したい。

ゆくゆくは、女性が栃木県知事、いや日本の首相になる国になってほしい。女性が子どもを育てながら、首相として働ける国になってほしい。
こんなことを言うと、「日本じゃないみたいだ」という人もいるかもしれません。
そうかもしれません、私が目指すのは、「ボス猿のようなおじさんが支配する日本ムラ」じゃない日本、です。

そのために、まずは、私は、栃木県を、全ての人が人生を楽しめる県にしなくてはなりません。
学校で落ちこぼれたらおしまい、病気になったら働けなくなっておしまい、老いたらおしまい、そんな社会ではない、「誰かが誰かの横にいる」、そんな社会を栃木で実現させましょう。

そうしたとき、一部の恵まれた人間だけ、の世の中ではない、全ての人が、その人の人生を楽しく生きることができる、そんな世の中を、栃木で実現することができるはずです。


たのべ隆男(田野辺隆男)
1960年栃木県芳賀町生まれ。宇都宮高校、東京大学法学部卒業。1983年NHKに入局、以後番組制作ディレクターとして報道番組を中心に制作。本部と全国6地方局で世界と日本の課題を取材、組織マネジメント部門も経験。2015年、NHK宇都宮放送局長を最後にNHKを退職し、2016年の参議院選挙(栃木選挙区)に出馬、31万票を超える支持を得るも次点。2017年、家業である有限会社田野辺運送店を継ぎ、芳賀町にて父の同居介護を始める。2020年2月株式会社田野辺の社長就任。同月、無所属県民党の政治団体「新風とちぎ」を立ち上げて、県政刷新のための活動を行っている。

第1編 -幼少期と学生時代  第2編 -NHK時代