未曾有の被害をもたらし、多くの尊い命が失われた東日本大震災から今日で5年となりました。

犠牲になられた方々に心より哀悼の意を表します。また、被災された皆さまにお見舞いを申し上げます。

発災時に私はNHK徳島放送局内にいました。突然、緊急地震速報が局内に鳴り響き、徳島においても長時間続く異常な揺れを感じました。テレビに流れる映像に、段々と明らかになる全貌に、現実のこととは思えずに、立ちすくむしかありませんでした。そして東北から遠く離れた徳島県の沿岸にも津波が押し寄せ、私は放送部長として長時間の報道を指揮していました。

その後、震災から2年がたった2013年6月、私は福島放送局に異動となり、被災地へ。2年が経ったそのときも、地震発生時のままの姿でした。壊れた堤防、陸上に打ち上げられた船、フロントガラスもドアも壊れた乗用車の車内には、お弁当の空き箱が放置されたままでした。

時が、その時のまま、止まっているのです。原発近くは放射線量が高いため、立ち入りが制限され、復興が全く進んでおらず、そのまま残っていました。その場に立ったときの、その空気は本当に重いもので、原発事故の恐ろしさをまざまざと感じました。いったん放射能による汚染が起こると、ここまで広く、深く、長く、影響が続くのです。今も多くの方が栃木県内で生活されています。5年が経った今も、福島の現地だけでなく多くの場所で課題が残り、栃木県内でもその被害は未だに現在形で続いています。

私たちは、自然災害の恐ろしさ、原発事故の過酷さを忘れてはなりません。

 

地震国日本においては、原子力発電は将来廃止していくべきエネルギー源です。

私は2030年代の原発稼働ゼロを目指し、政策の転換を訴え続けてまいります。

 

※写真は浪江町沿岸部 2013年11月撮影

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