子どもたちを育てている方々に、子どもたちに関わっている方々に、関心を持っていてほしいことがあります。

今、教育をめぐって心配なことが次々と起きています。日本を戦争に駆り立てた一つである教育勅語について、政府は3月31日に「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との閣議決定をしています。

「教育勅語は、文言として『父母に孝行を尽くし』などの良い文言も入っている」という説明がされていますが、教育勅語は、様々な言葉が、結局最後に「皇室・国家に一身を捧げろ」という言葉に集約されていきます。戦前に暗唱させられたご年配の方から聞いた話ですが、勅語は途中で切らずにこの最後の言葉まで一気に読むことを求められたそうです。狙いは国家への服従促進であり、教育勅語は切り取って現代に使えるようなものではありません。

また、4月14日には、あろうことかナチス・ドイツの独裁者ヒトラーの著書「わが闘争」の教材使用についても、「教育基本法等の趣旨に従っていること等の留意事項を踏まえた有益適切なものである限り使用できる」と閣議決定しました。「我が闘争」はユダヤ人大虐殺につながった本であり、ドイツでは出版禁止になっている本です。世界から日本政府の良識を疑われる決定です。

さらには、自民党は「家庭教育支援法」という法律の成立を今国会で目指しています。この法律は名前の通り「家庭教育を国や地域ぐるみで支援する法律だ」とされています。支援というと聞こえはいいですが、目的は、「国家と社会の形成者として必要な資質を備えさせる環境を整備する」ことにあります。しかも具体的な設備整備が打ち出されているのではなく、「道徳教育」強化を掲げています。「国家」を重視する点では教育勅語と同じ考え方が流れています。 

識者は、この法律は戦時中に作られた「戦時家庭教育指導要綱」とそっくりだと指摘しています。

家庭生活が国家活動の基本だとして、「隣組」という地域の制度とともに、子育てを家庭よりも国家が行うように仕向けていった法律です。それが生み出したのは、整列して戦地に向かう兵隊たちです。日本にもその時代があったのです。その時代に生き、涙を流した人たちがいたのです。文言の字面の響きに誤魔化されてはいけません。

道徳教育、社会の一員になる教育は、国家が行うものではありません。家庭が、親たちが、子育ての喜びとともに行っていくものです。

ロバート・フルガムという人が書いた「人生に必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ」という本がありますが、子供達はお友達とおもちゃを取り合ったりしながら、仲良くしていくことやマナーを学ぶものです。言葉を暗唱することによって身につく道徳なんてありません。

子供達は個性を発揮して成長しながら学ぶものだと思います。そしてその横には、押し付ける大人でなく、子供の成長を喜びとして見つめ導いていく親や大人たちがいなければなりません。教育は国家のものではなく、私たちの喜びの源であり、宝物です。国家は口を出すのではなく、施設などインフラ整備が役目です。幼稚園すら足りないのに、「家庭教育支援法」が提出されることが信じられません。