4月4日、今村復興大臣は記者会見で、原発事故を受けて自主避難している人への支援について、「国は責任を取らないのか」との記者の質問に、「それは本人の責任だ」と答えるなどと発言しました。

つくづく思います。この国の為政者たちは国民のことをちっとも考えていないと。

私の脳裏には、福島から子供を連れて自主避難しているお母さんたちの姿が浮かびます。誰だって故郷や、あるいは場合によって家族と別れて、よその場所で住もうなんて考えません。悩みに悩んでの決断です。避難しなければならないこの状況は自然災害によるものですか?原発事故は自然災害ではないでしょう?

そもそも、原発事故前は日本では放射線被曝の安全基準は年間1ミリシーベルトでした。それが政府によって年間20ミリシーベルトに変更されました。お母さんたちが、1ミリシーベルトを超える地域で子供を育てて大丈夫なのかと心配するのは当然のことです。「自主避難」という言葉に誤魔化されてはなりません。原発事故がなければ避難する必要はなかったのです。

それに、政府自身が、2012年6月に「原発事故子ども・被災者支援法」を成立させ、自主的な避難の権利を認め、健康面や生活面の支援の実現を約束しています。

しかし、政府は、今年の3月31日をもって自主避難者への無償住宅の支援を終了させました。自主避難者がまだ約3万2000人も残っているにもかかわらず。

自主避難者の方々は、8万7000人の署名を集め、支援の継続を求めていました。しかし今村大臣は4日の会見で、この署名について、「確認はまだしていない」とも発言したそうです。記者は、そうしたやりとりも踏まえ、大臣の責任を問いただしたのです。ジャーナリズムとして当然のことです。一部のニュースでは、この今村発言問題を「避難者を傷つけた暴言問題」と報じていますが、本質の問題は感情問題ではなく、自主避難者への国の責任問題です。国の原発事故への責任を極小化し、国民に負担を転嫁しようという政府の姿勢が問題です。

今村大臣は、「現実問題、補償の金額だって、ご存じの通りの状況でしょう?」「国としてはできるだけのことはやったつもりであります」「裁判でもなんでもすればいい」とも発言しています。命よりも国のお金の方を大事にしている発言です。

ツケを回されるのはまたしても子供たちです。自主避難の子供たち、お母さんたちが、どんな思いでこの春、新年度を迎えたのか、考えると胸が痛みます。